【中1】学校に見切りをつけた日

中学生

学校という場所になじまない、我が家のむすめの記録メモ。

今、むすめはN中に在籍している。
世間的には、そもそもN中やN高自体の存在を知らない人もまだまだ多い。
知っている人からすれば、「不登校の子が行くところ」というイメージが強いかもしれない。

最近ではスポーツ選手や起業家、アーティストなど、さまざまな卒業生の活躍も耳にするようになった。
ワールドカップ2026で正ゴールキーパーの鈴木彩艶選手も、N高の卒業生だ。
自分の明確な目標に向かって力を注いでいて、社会で活躍している卒業生たち。
そんな彼らの姿は、親の私から見ると眩しすぎる。
うちには当てはまらならない例だな、と遠い存在に見える。

我が家がN中を選んだ理由は、明確な理由があったわけではなく
一言で言えばただの「消去法」だった。

娘はN中を申し込む際、あいまいに「うん」と言った。
本当にそれだけの大人の事情だった。

学校に行かない分、経験をして欲しいという望みと
「どこかに所属している」という親の安心感。

不登校の親の大半はそうだと思うし、
一縷の望みをかけてN中にする親が少なくともN中は多いと思う。

目次

中1の夏、「学校はもう無理だ」と分かった日

中学に入学した当初1年生の半ばくらいまでは、
なんだかんだ言いながらも学校に通えるのではないかと思っていた。

入学式にはなんとか参加した娘だったけれど、実質教室に入れたのはその日だけ。
翌日からのオリエンテーション初日、どうしても校門の前で足が止まってしまった。

それからは朝から登校することは難しくなったけれど、
担任の先生の提案で週に1回、放課後に学校へ行ってプリントをもらい、
家で自習をするというルーティーンが始まった。
放課後の時間、私は娘の隣を歩いて一緒にプリントを受け取りに行った。

あの時、むすめは私に「林間学校から学校に戻る」と言っていた。

娘自身は、林間学校にどうしても行きたいわけではなかったのだと思う。
それでもその選択肢に手を伸ばそうとしたのは、小6のとき
日光の移動教室に向けて準備段階から少しずつ教室に入れるようになったからだと思う。

「あのときみたいに、準備をがんばれば、また戻れるかもしれない」
言葉にはしなくても、彼女のなかにな成功体験があったから。

娘の「行きたい」という意思を伝えるために
私は事前に学年の先生方と、面談をして状況を共有していた。

先生たちも娘の思いを受け止めようとしてくれていた。
参加の条件として、林間学校オリエンテーションからの参加を必須とされた。

体育館で学年全体に向けて林間学校の説明があり、その後に班ごとに分かれることになっていた。

決定打となった、夏の日のこと

そうして準備をして臨んだ日。
結果として、それが学校という場所に見切りをつける決定打となってしまった。

体育館での説明が始まる時間。
娘は保健の先生に付き添われて、体育館の入り口まで向かった。
けれど、先生がその重い扉を開けた瞬間、
中から伝わってくる大人数のざわざわとした独特の空気が一気に押し寄せてきた。

さらに、後から入ってきた娘の姿に気づいて、
何人もの生徒たちが後ろを振り向いたらしい。
ひそひそとこちらを窺うような視線を向けてきたのだという。

その視線とプレッシャーに耐えかねて、娘は中に入ることができなかった。

そんな娘に対して学校側がとった対応は、
保健の先生が彼女を玄関口のベンチにぽつんと1人で置いておく、ということだった。

連絡を受けて学校へ迎えに行くと、
クーラーもない蒸し暑い玄関口で、娘はしくしくと泣き出した。

私と帰る前、オリエンテーションが終わって体育館から出てきた生徒たちが、
泣いている娘の姿をジロジロと見ながら通り過ぎていく。
あの時のいたたまれなさと、切なさ。
あの子がどれほど悲しい思いをしていたかと思うと、ただただかわいそうだった。

とりあえず娘を連れて家に帰り、
落ち着いてからすぐに学校へ電話をかけて状況を尋ねた。

けれど、返ってきたのは
「本人に保健室か廊下(玄関口)のどちらがいいか聞いたら、廊下がいいと言っていたので……」
という言葉だけだった。

その保健の先生は、入学前の面談で2回、林間学校の前の面談で1回、
計3回も直接会って話をしていた相手だった。

娘の特性も、何に不安を感じやすいかも、
事前にあれだけ丁寧に共有してすり合わせてきたはずだった。

それなのにいざその時が来たら、
泣いている娘を蒸し暑い玄関口に1人で放置した。

理由を聞けば「本人がそう言ったから」と言い訳のように返すだけ。

学校側のその淡々とした対応を聞いたとき、
「ああ、もう学校とこれ以上やり取りをしなくてもいいんじゃないか」と思った。

今思い出しても、やはり腹立たしい。
これを書いてムカムカしてくるくらいにはまだ怒りや悲しさがある。

先生からしてみれば
何度も面談をして注文をたくさん押し付けてくる、ただの面倒な親だったのかもしれない。

けれど、あの対応はまるで
「うちのシステムに馴染まない子は、もう学校に来るな」という
突き放したメッセージのように私には感じられた。

私の大げさな曲解かもしれないけれど、それでも、ただただ、やりきれなかった。

こういう場所に無理をして通うチャレンジをするのは、
娘の気持ちが削れるだけで、無駄な時間なのではないかと思った。
もう集団に馴染むという学校のルートは、うちの子には必要ないと思った。

そこからは学校に行く目的がガラリと変わった。
教室に戻るためではなくスクールカウンセラーと話をしに行き、
担任の先生に形ばかりの生存確認の挨拶をしに行くだけの場所。
娘にとって学校はそういう存在になった。

世田谷区は、不登校児へのサポートやサービス自体はとても充実している。
スクールカウンセラーやソーシャルワーカーの配置はもちろん、学校に戻ることを目指さなくてもいいフリースクール(ほっとスクール)、メタバースを活用した登校支援など、選択肢はたくさん用意されている。

小5ののときに体験した分身ロボットの「OriHime(オリヒメ)」もその1つだ。

けれど、それらの手厚い制度も、結果としてことごとく娘には合わなかった。

しかも、こうした行政の取り組みは、学校の現場にはいまいち周知されていないのが現実だった。
担任の先生から「こういうサポートもありますよ」と案内されたことなんて、ただの一度もない。

思えば、担任の先生はいつも受け身だった。
こちらが調べて、動いて、具体的な要望を出さない限り、向こうから何かが動くことはなかった。

ただでさえ激務のところに、
案内してナイーブになっている子どもや親と問題になることを避けるためなのかなとも思う。

自分の手で情報を調べ 自力で見つけた
世田谷区の「メタバースを活用した登校支援」をこの後利用することになる。

長くなるので次回に続きます。

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