7月17日(金)1学期が終わった。
学校と関わりが強かった頃はやっと夏休みが始まる、とホッとしていた。
今は、あ、もう夏休みなんだ、と気づく感じで普段と変わりがない。
担任の先生から「来てください」と連絡をもらい、私は学校へと足を運んできた。
娘の中学校生活も、今年が最後。
中学3年生。
義務教育最後の1年を受け持ってくれている今の担任の先生は、親の目から見ても「いい先生だな」と思う。
これまでの先生たちを思い返すと、本当にいろいろな人がいた。
1年生のときの先生
「次の学年の担任へ引き継ぎをお願いします」とメモを託したにもかかわらず、何一つ引き継ぎをしないまま異動してしまった。
2年生のときの先生
思ったことをなんでも口にしてしまう裏表のないタイプ。
引き継ぎのことを確認したところ「初めて聞きました」と言われ、そこでようやく引き継ぎがされていなかった事実を知った。
それらの過去を思えば、今の中3の担任の先生は誠実でいい先生だ。
当の娘は、まだ一度も先生と会ったことはないのだけれど。
今の先生は、娘や私に無理強いもしないし、こちらの状況をなんとか「理解しよう」としてくれる。
この「理解しようとしてくれる」という姿勢。
実はこれすら全くなかったり、あるいは理解する『ふり』だけだったりする先生が、どれほど多いことか。
つくづく、学校という場所は決められたシステムで動いていて、
そこから一歩でも外れてしまう子に対しては、
本当に驚くほど機能しない場所なんだなと思う。
進路を決める「三者面談」というプレッシャー
中学3年生ということで、この夏休み中には進路を決めるための「三者面談」が予定されている。
先生には、今の娘のありのままの状況を伝えた。
「娘は今、進路についてあれこれ考えても余裕がなくて、何も決められないし分からない、と言っています。だから、進路について今話すのは難しいです」
進路が話し合えないのなら、三者面談自体をやる意味があまりないし、
先生との二者面談にしても、こうして月2回くらいプリントを取りにくるついでにお話しできている。
改めて面談をすることもないのかな、と。
先生からは折衷案がでた。
「では、校門のところまで来て、挨拶だけするというのはどうでしょうか?」と。
一回も会ったことがない、先生にとって実体がない娘。
会う、というのが必須の行為なのは分かる。
けれど、私はその提案に対して娘の特性やこちらの意図を説明した。
「そもそも、挨拶だけでも『行かなければならない』と本人が思ってしまうこと自体がしんどい。
娘は完璧主義なところがあって、いろいろとシミュレーションを繰り返すのですが、うまくいく想像がつかないと、それだけで絶望してしまうんです。」
言っていて、自分でも閉塞感を感じてしまう。
けれどそれが娘の実体…。
「普通の人からしたら理解できないかもしれないし、実は私も、娘を育てていく中で『世の中にはこういう考え方・捉え方をする子がいるんだ』というのを初めて知ったくらいなんです。」
わたしは常識的な考えの持ち主だということも伝えた。
普通じゃない子を育ているけれど、親は常識を持ち合わせている、ということは自分のためにも伝えておきたいところだ。
先生はあまりピンときていない様子(理解できていなさそう)だったけれど、ひとまず三者面談の当日に「校門のところまで挨拶にだけ行く」という試みをしてみることに決まった。
「行かなくてもいい」を、何度も娘へ届けるために
正直、私としては、当日娘が行かなくてもまったく構わないと思っている。
客観的に見たら、「わざわざ校門まで挨拶に行くだけなんて、意味があるのかな?」とも思う。
けれど、もしこの試みに意味があるとすれば、それは当日、私から娘にこう声をかけてあげられることだ。「校門まで挨拶に行くって約束したけど、やっぱり行かなくても大丈夫だよ」
そうやって、「行かなくてもいいんだ」という選択肢を、親である私から何度も何度も伝える。
娘が「学校のルールより、私の心が優先されていいんだ」と、頭と体で安心して理解するための、ひとつのきっかけになればそれでいい。
学校のシステムには乗れなくても、私たちは私たちのペースで、ぼちぼちやっていけばいいかなと思っている。

