小5になる前、春休みの時点で副校長と新しい担任との三者面談を申し込んだ。
今の状況を伝え、娘への配慮をお願いするためだった。
担任は理解を示してくれたが、今思えばそれはその場のやり取りだけで、どこか「話半分」に聞かれているような手応えのなさを感じた。
5年生の間、娘が教室に入ることは一度もなかった。
午前中だけ会議室で過ごす登校を続けていたが、それも次第に難しくなっていった。
分身ロボット『OriHime』との距離感
この時期、世田谷区のモデルケースとして不登校気味の娘に声がかかり、分身ロボット『OriHime』のモニター対象になった。
『OriHime』は、遠隔操作で動かせるロボットをタブレットで操作して、離れた場所にいる人と対話したり、その場の空気を共有したりできる機器。
当時、娘が学校と間接的につながるための有効な手段になれば、と期待を寄せていた。
しかし、実際の運用には壁があった。
ロボット越しに友人がおもしろいポーズをとってくれたり、話しかけてくれたりすることは、娘にとっても楽しい時間だったようだ。
ただ、それで「教室に戻ろう」と思えるような性質のものではなかった。
また、学校に登校してではないと使ってはいけない、というルールだった。
1.登校して職員室に行く
2.タブレットと充電器をもらう ※副校長が管理しており、不在時は使用不可
3.副校長がクラスに電話して、クラスにあるOriHimeを担任が起動する
4.むすめがつなげる
というステップが必要。
また、授業を受けるという目的では、実用面で厳しかった。
画質や音質が十分ではなく、黒板の文字を読み取ることは困難だった。
何より、専用タブレットは学校のネットワークでしか繋がらず、バッテリーの持ちやWi-Fi環境の不安定さにも悩まされた。
研究者側からはイベントでの風景共有といった提案もあったが、
担任からは「バッテリーが重くて充電に時間がかかる」「重くて移動するのが大変」と難色を示され、結局あまり活用されないままだった。
分身ロボットOriHimeはむすめの分身にはならなかった。
相槌だけ。いい加減な担任。先生という仕事
娘は、中3の今まで同じ担任だった試しがない。
進級する度に担任が変わっている。
そんな中、小5の担任は、担任と接する機会が多かった私の中でワースト1位である。
担任は常に「忙しい」と口にしていた。
実際に多忙だったのだとは思うが、結果として不登校の娘に目を向ける余裕はほとんどなかったのだろう。
そしてそれを歯がゆい、どうにかしたい、という気持ちはなく、完全に割り切っていたと思う。
※わたしの主観です
学校からのプリントや配布物がもらえないことは日常茶飯事で、
学校の記念行事でPTAから配布された記念品のお菓子も、
なんと1ヶ月後に
「賞味期限は切れていますが記念なので」
とへらへら笑いながら渡されたこともあった。
決定的な出来事があった。
週2回の登校日で給食を食べて帰る日があったのだが、先生が会議室まで給食を運ぶことを忘れてしまったのだ。
娘は誰も来ない会議室で、13時過ぎに私が迎えに行くまでお腹を空かせて待っていた。
謝罪と返金はあったが、その一件に至るまでの対応を含め、5年の担任への不信感は決定的なものになった。
この不信感は副校長にも伝え、6年生では担任を外してもらうよう願い出た。
担任との雑談をした中で6年生は今まで持ったことがない、と言っており、それが本人の希望だったのだと思う。6年の担任団にはいなかった。
不登校児にリソースを割く余裕がなかったのか、あるいは教育者としての志が足りなかったのか。
プロの仕事としては残念と言わざるを得ない、質の低さを感じた一年だった。
聞けば、この担任自身も幼稚園児を育てている最中だったという。
自分の子どもがもし同じように不登校になった時、自分のような対応をする教師が担任だったら、親としてどう感じるのだろうか。
そう問いかけずにはいられないほど、彼女の対応はあまりに保護者の心情からかけ離れたものだった。
フリースクールを巡る日々
学校に見切りをつけ、娘に合う場所を探してフリースクールや民間施設を4か所ほど体験入会した。
しかし、結果としてどれも長続きはしなかった。
娘は「楽しかった」と口にすることは一度もなく、
親に促されて「行かなければならない場所」として通っていたように思う。
一度私と離れて場に馴染めれば、とも期待したが、
次からは決まって「行きたくない」という拒否反応が返ってきた。
娘にとって、学校というシステムも、それを補完するための支援ビジネスも、彼女の心にフィットするものはどこにもなかった。

