【記録01】公立小学校のリアルと、小1の担任の先生

今になって思えば、娘には自分なりの感覚があり、それが人とは少しばかりかけ離れていたのだとわかる。


だから「小学校」という集団生活は、彼女にとって息苦しい場所になると思っていた。
それでも、2年かけて幼稚園になんとか慣れたように、小1と小2の時期をがんばれば、なんとかなるのではないかと期待していた。

当時から娘の登校の足は鈍く、わたしが毎日学校まで送迎をしていた。
公立小学校という環境で、娘のようなタイプがどうなるか。
結論から言えば、それは完全に先生の「力量」にかかっている。運任せの危ういシステムだと思う。

事実、娘は小学校を卒業するまでに7人の担任にお世話になった。
毎年担任が変わり、途中で産休に入って交代した先生もいた。

隣のクラスの先生が心を病んで、学期の途中で辞めてしまうような出来事もあった。

定年後の補助で入ったベテラン先生と、小1の時の先生以外は、全員が20代。
1学年3クラスを、20代2人と30代1人で回すような状況で、なぜか体育大学出身の先生が多かった印象もある。
そんな7人の先生の中で、娘と相性が良かったのは、小1と小6の先生だけだった。

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休み時間の憂鬱と、小さな居場所

低学年の頃は女子特有の群れなどはまだなかったが、娘はそれでも集団が苦手だった。
特に嫌がっていたのが休み時間だ。

「体を動かし日光を浴びましょう」
と必ず校庭に出されるのが苦痛で、本当は誰もいない教室にずっといたかったのだという。

無理やり校庭に出された彼女は、同じようにあまり体を動かしたくないクラスの男子2人と一緒に、アリや植物の観察をして時間をやり過ごしていた。

クラスをまとめる低学年のプロ

1年生の時の担任は、低学年指導のプロフェッショナルとも言える主幹教諭の先生だった。

クラスには、授業中でも何かにつけて立ってうろうろしてしまう男子が数人いた。
小1ならどこにでもいるレベルとはいえ、賑やかな環境だ。

また、幼稚園から小学校へ上がる際、わたしは幼稚園の先生にお願いして、娘の特徴を小学校側へ事前に引き継いでもらっていた。
そうした配慮が必要な子どもたちが、おそらく意図的に集められたクラスだったのだと思う。

それでも、学級が荒れることはなかった。
先生はみんなに対して公平で、少し厳しいところもあったけれど、教室の秩序をしっかり保ってくれていた。

「あの先生だったからよかったんだ」と心底思う。

現に、クラス替えなしでそのまま小2に持ち上がった際、
次の担任の下でクラスは無法地帯のように荒れに荒れることになる。

1対1の「廊下での指導」と、細やかなフォロー

娘が1年生の先生を信頼していた最大の理由は、「叱り方」にあった。

誰かを注意する時、先生は決して教室のみんなの前で怒鳴ったりしない。
そっと廊下に呼び出し、1対1で、他の子に聞こえないように注意するのだ。
その間、教室に残された子どもたちは静かに待つことができるようになっていた。

娘自身が困って泣いてしまった時も、後でこっそりと話を聞いてくれたそうだ。

個人面談の時、図工の時間のエピソードを聞いた。
絵の下書きがうまくいかず、娘は鉛筆で何度も書き直した。
そのうち画用紙が破れてしまい、しくしくと泣き出したのだという。
結局、泣いている間に図工の時間は終わってしまった。

先生はそれを責めなかった。
「以前も同じように、失敗したと思って泣き出したことがありました。
でも今回は、次の時間がテストだとわかると、自分で泣き止んですぐにテストに取り組めたんです。気持ちの切り替えが早くなってきましたね」

娘の小さな成長を見逃さず、肯定的に捉えてくれた。

他のママ友に聞いても、何かあれば先生から
「こういうことがあり、こう対応しました」と細やかな電話がかかってきていたらしい。

プールへの恐怖とスモールステップ

娘は水が極端に怖く、幼稚園の時はプールに全く入れなかった。
そのことを相談すると、先生は明確なアドバイスをくれた。

「まずは、濡れタオルで顔を拭くのではなく、手で水をすくって顔を洗うところから始めてください。
小1と小2は、水に潜るところまでできれば十分です。
小3から少しずつ泳ぐ練習をしていくスモールステップですよ」

見通しが立ったことで、親のわたしもずいぶん気が楽になった。
(もっとも、その後コロナ禍になり、小3からのプール学習自体がなくなってしまったのだが。)

娘にとって、そこはとても居心地の良い空間だった。

ただし、先生との相性は本当に人それぞれだ。
幼稚園から一緒だったよく喋る活発な男の子は、この先生がとても苦手だったらしい。
思いついたことを口に出すと「静かに」と止められ、後で廊下で諭されてしまうからだ。

校長の方針と、学校のシステム

誰にとっても完璧な先生はいない。
それでも、娘の小学校生活のスタートがこの先生だったことは、わたしたち親子にとって一番の幸運だったと思う。

しかし、この先生は翌年、別の学校へ異動してしまった。
先生からいただいた年賀状を、娘は今も大事に取っている。

当時の校長先生(小2まで在籍)は、保護者の前でも
「クラスごとに担任が責任を持ってやることを大事にしたい」
と公言するような人だった。

各クラスに手のかかる子が必ずいるような状況で、担任一人の力だけで回せるわけがない。
案の定、異動していく先生がとても多かった。

娘の担任が会議室で校長に物申していたという噂を、PTAで学校に出入りしていたお母さんから聞いたこともある。

小3から別の校長先生に変わると、「学年全体で生徒を見る」という方針に変わり、先生たちの雰囲気もガラッと良くなった。
笑えることに、小3以降は先生の異動も少なくなったのだ。

公立小学校という場所は、校長の方針ひとつで空気もシステムも大きく変わってしまう。
その脆い土台の上で、娘の過酷な小学校生活は続いていく。

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