小4の夏、発達外来でWISC-IV(ウィスク・フォー)という知能検査を受けた。
WISC-IVは、言葉の理解力、目で見た情報を整理する力、記憶力、処理スピードなどを測るテストだ。
後日カウンセラーから聞いた話では、検査中、娘は難易度が上がることに不安を感じ、何度も水を飲みながら、震える声で課題に取り組んでいたという。
「1時間で終わりますよ」と言われていたが、納得するまで諦めない娘の姿勢もあり、その倍の時間がかかってしまった。
検査でわかったこと
結果は、全検査IQが137という数値だった。
詳細な内訳を見て、私は驚いた。
すべての指標が平均(100)を大きく上回る高い水準にあったが、なかでも言語理解指標(VCI)が155という非常に突出した数値で、他の指標との間に大きな差があったのだ。
高い数値はでたが心当たりはある。
小さな頃から言葉の発達や読み書きが早く、当時数学年先の本を読んでいたからだ。
黙読も早く、本人に聞いたら2行ずつ読んでいると言っていた。
結果を受けての診察はあまりにも短かった。
いつものことだが、予約枠は10分。
話しが長くなり15分まで延長される程度の、慌ただしい時間だった。
疑問や対策を聞くにはあまりにも短い。
私は医師に、どうしても聞きたかったことを尋ねた。
「うちの子は、ASDなのでしょうか」
医師の答えは曖昧だった。
「グラデーションのようなものなので、グレーに近いところにいるかもしれませんが、一概には言えません」「診断が出ても出なくても状況は変わりません」
それ以上の補足は、時間切れのように途切れた。
私はその返答に、釈然としないものを感じていた。
当時、学校のスクールカウンセラーは「娘はASDである」と断定的に話していたからだ。
医師から「診断」が下らなかったことで、
私はむしろ「カウンセラーの断言は早計ではないか? 他に原因があるのではないか?」と、
カウンセラーに対して強い反感を抱くようになっていた。
当時の私には、娘は他の子と違うという違和感はありつつ、ASDだと確信に至るような感じがなかった。
ネットや本で見られる、人と目を合わせられない、自分が好きなことばかり一方的に話す、冗談が通じないなどがなかったから。
もし娘のIQが平均的か、あるいは低かったら、カウンセラーの言う通り「ASDだから仕方ない」とすんなり受け入れていたかもしれない。
この突出したIQを目の当たりにして、「もしかして、これはギフテッド気質が引き起こしている凸凹なのではないか?」と考え、必死に事例を探し回った。
医師もカウンセラーも、「娘がどうすれば楽になれるか」という具体的なアドバイスやサポートを、結局何も示してはくれなかった。
けれど今、中学校に入ってからの様子を見ていると、あの頃カウンセラーが言っていた「ASD的な傾向」は、確かに娘の一部として強く存在していると認めざるを得ない。
あの時の見立ては、ある意味で正しかったのかもしれない。
ただ、当時の私に必要だったのは「障害かどうか」という判定ではなく、この高い能力と繊細さを抱えた娘と、どう向き合えばいいのかという具体的なヒントだった。
私たちは、現状をどうにかしようと思って、病院に通っていたのだから。
変わらない現場と、今の振り返り
この結果を学校と共有するために時間を作ってもらったが、現場の対応が変わることはなかった。
特性を理解し、環境を調整するような配慮を学校に求めるのは、当時の状況では難しかったのだと思う。
今、こうして振り返って一つだけ後悔していることがある。
あの時、学校に行くこと自体を、きっぱりと辞めてしまえばよかったということ。
塾も結局は辞めてしまったのだから、もっと早く決断してもよかった。
もしあの時思い切って学校を離れ、ホームスクーリングに切り替えていたらどうなっていただろう。
学習はオンライン教材で確立させつつ、娘が興味を持つ鉱物や工作といった分野に特化した、単発のワークショップやレッスンにだけ出向く。
そんな「点」のつながりによる教育の形でも、十分だったのかもしれない。
あの時は「枠」の中にいることだけが正解だと思い込んでいたけれど、もっと早く娘の感性を信じて、道そのものを変えてあげればよかったのではないか。
そうしたら、学校や集団への苦手意識はここまで強くなっていなかったんじゃないかと思うのだ。
それを考えると最初の一手を間違えてしまったのではないかと、親として申し訳なさでいっぱいになってしまう瞬間がある。
やり直せるのであれば、小学1年生からやり直したい、と思う。
結果は結局のところ、現状にたどり着くのかもしれないけれど。

