ピアノのオンラインレッスンでもすぐに布団に潜ってしまう娘を、ただ見守るだけの1年間が過ぎ、今年の4月。
わたしもさすがに待ちくたびれて、ずっと教室へ通えずにいる彼女にこう伝えた。
ママはもう十分待ったよね。
ほとんどやらないのに1年間お月謝も払ったし、
直接教室に行かないとちゃんとコミュニケーションをとって教えてもらえないんだから、
5月前までに行けなかったらもう辞めて欲しい。
それでもどうしても習いたいんだったら、今までためたお年玉で習ってね
娘は自分の気持ちでいっぱいいっぱいで、周りのことが目に入っていない。
でも、こちらにだって限界や気持ちはあるし、状況は常に動いている。
気がつけばもう中3になるというのに、本人はその時間経過すら意識できているのだろうか。
少しキツい言い方かもしれないけれど、これが正直なわたしの限界だった。
どこかで区切りをつけないと、ただ時間と費用だけが流れていく。
投資に例えるなら、そろそろ「損切り」の時期を考えるようなタイミングに来ていたと思う。
厳しいことを言ってでも、「今」という現実を少しでも認識してほしいという気持ちもあった。
すると彼女は
辞めない
と言い、4月から再び教室へ通い始めたのだ。
1年間、外の世界に向けてまったく動けなかった娘にとって、これはものすごく大きな動きだったと思う。
いきなり1年ぶりの教室に入るのはハードルが高いと思ったので、まずは本番のレッスンの前に1回、教室の前まで行ってみるという「予行練習」の日を挟んだ。
娘はまだ1人で外に出られない状況なので(というか1回もピアノ教室に1人で言ったことがないので)、当然わたしも一緒に付き添って家を出る。
当日は春休みで教室自体は開いていなかったのだけど、「近くにあるハンバーガー屋さんで食べて帰ろう」というのを目標にした。
ただ、片道1時間の道のりは、ずっと家にいた娘の体力にはなかなか負担が大きかったようだ。
4月とはいえ結構暑い日で、途中で人混みの激しい大きな駅を通り抜けなければならない。目的の駅で降りてからも、徒歩12、3分の道のりを何度も休みながら、ようやくたどり着いた。
でも、目当てのハンバーガーショップは、建物ごとすっかり取り壊されていた。
横でそれを見ながら、わたしは「なんだかドラマみたいだな」と、少し冷めた視点で考えていた。1年間という空白を象徴するように、建物ごと跡形もなく消えているなんて、わかりやすいくらい出来すぎた展開で。
「一年経ったら、お店も変わっちゃうんだね」と、二人でそんな話をした。
現在レッスンで弾いているのは、ショパンのノクターン第20番(遺作)。
せっかく再開したのだから、もっと明るくて楽しいJ-POPとかを弾けばいいのにと思わなくもないけれど、先生がいくつか出してくれた候補の中から、彼女自身が選んで決めたようだ。
ピアノの先生には、とても感謝している。
娘の今の状況も、自分のことを聞かれると「なにが回答の正解なのか」を考えすぎてひどく疲れてしまう特性も、よく理解してくれている。
その上で、あえて踏み込んだ質問をどんどん投げてくれるのだ。
「最近好きなものは?」「何を読んだの?」「家で何をしているの?」と、娘にとってパッと答えるのが難しいことを、コミュニケーションの練習としてわざと聞いてくれている。
こんな風に向き合ってくれる大人に出会えて、娘は本当に恵まれていると思う。。
夏には発表会があるけれど、人前に出るのはまだ難易度が高いかなと、今回は参加を見送ることにした。
今までだったら自分で決められず、「ママはどう思う?」「先生はどう思いますか?」と聞いて、大人の意見にそのまま従っていた。でも今回は、自分で決断して先生に伝えたらしい。自分のいまのキャパシティを判断して、自分で選択ができたのは、わたしから見て良いことだと思う。
4月に再開してから、今のところ休んだのは風邪での1回だけ。
実は今週も、出かける前は少し体調が悪そうで「今日は休むのかな」と思っていた。
今までなら、こういうときは絶対に休んでいた。
だからあえて「体調悪いなら休んだら?休むなら、自分で先生にLINEしてね」と声をかけてみた。
すると「行かないわけないでしょ」とムッとして、なんとか踏ん張って出かけて行った。
最近、こういう逆張りの発言をすると、彼女は案外しっかり動くということをわたしは学んだ。
学校に行っていないから、同年代の他の子と比べることはできない。
それでも、自分で曲を選び、発表会を見送る決断をし、ムッとしながらも片道1時間の道のりを休まず通う姿を見ていると、ゆっくりだけど確実に成長しているのだなと感じる。
あの果てしなく長く感じた「待ち」の時間は無駄ではなかったのかもしれないと、少しだけホッとしている。

