【記録08】学校には行かないことにした(中1〜現在)

中学生

「環境が変われば、中学校からは通えるはず」。
周囲の大人たちからはそんな風に励まされることが多く、私自身もどこかでそんな淡い期待を抱いていた。

しかし、新しく始まった中学校生活は、私たちの想像以上に娘のエネルギーを消耗させていくことになる。

今回は、悩んだ末に選んだ公立の「小規模校」への進学と、そこでの新しいスタート、そして再び訪れた静かなエネルギー切れまでの記録。

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「行かないわけないでしょ」――春休みの頼もしさ

小学校を卒業した春休み、私の実家に帰省したときのこと。
祖母が娘に「中学校からは学校、大丈夫そう?」と少し心配そうに尋ねた。
すると娘は、迷いのない声で「行かないわけないでしょ」と答えた。

そのハキハキとした頼もしい返事を聞いて、
祖母も私も、胸の奥がじんわりと温かくなるような、心強さを感じていた。

小学校の終わりはあんなに苦しんだけれど、新しい環境になれば、きっとこの子なら大丈夫。
そんな光が見えたような気がした。

小規模な隣の中学校

少しでも娘が安心してスタートを切れるようにと、私は地域の公立中学校の情報を調べていた。

本来、指定されている公立中学校は、学年で120人ほどの大規模校だった。
当時のその学校は校長先生が変わったばかりで方針が定まっておらず、古い体制が残っている噂があった。

実際、クラスにいた特性のあるお子さんがずっと描いていた絵を教科の先生が
「こんな下手な絵を描いています」とクラス全員に見せるという行き過ぎた事態があり、
保護者への説明会が開かれるほどの大問題になったと人づてに聞いていた。

1クラス40人近くになる過密な環境も含めて、
個別の配慮を期待するのは難しそうだと感じ、別の選択肢を探すことにした。

世田谷区には、特定の事情があれば区域外の中学校へ変更できる「指定校変更」という制度がある。
私は、隣の学区にある、少し生徒数が少なくて落ち着いた雰囲気の中学校に目を留め、
学校公開へ足を運んだ。

そこは1クラス25〜30人ほどの小規模校で、
教室にもゆとりがあり、娘にとって必要なパーソナルスペースが十分取れそうに見えた。

吹奏楽部も少人数で、楽器が余るほど揃っていると聞き、
音楽が好きな娘が興味を持ったら良さそうだとも思った。

スポーツの遠征で欠席が多い子や、不登校傾向の子への対応にも慣れている学校のようだった。

2回目の学校公開には娘も一緒に行った。
娘自身もその落ち着いた雰囲気が気に入った様子だったため、私たちはこの学校への指定校変更を申し込むことに決めた。

春休み 学校との2回の面談

少しでもスムーズに馴染めるよう、春休みのうちに中学校側と2回、面談の時間を設けてもらった。

1回目は、私ひとりで学校へ向かった。
娘の特性や診断内容をプリントにまとめ、得意なことや苦手なことを詳しく説明した。
対応してくれたのは、スクールカウンセラー、新中1を担当する先生、そして保健室の先生。
みなさんとても好意的に話を聞いてくれて、私は安心感を抱いた。

2回目は、娘も一緒に学校へ行った。
先生方を前に、娘は驚くほどハキハキと自分の言葉で話していた。
不安なこととして
「体育のときの着替え」「体育やプールがうまくできなさそう」
ということもしっかり伝えていて、その前向きな姿勢が嬉しかった。

とにかくこの時必死だった。
中学校からうまくレールに乗れるよう、
わたしは思いつく限りのサポートをしようと実行にうつしていた。

雨の入学式と、エネルギー切れ

迎えた入学式当日は、あいにくの雨だった。
けれど、新しく選んだ中学校は家からバス1本で近くまで行ける距離だったため、風雨に濡れることもなく、通学のしやすさを改めて実感していた。

娘は1人でちゃんと教室へ向かい、入学式にも最初から最後までしっかり参加した。

周りの新入生と同じように、何の問題もなく式をこなす娘の姿を見て、私は心からホッとしていた。
「よかった、これからの中学校生活、なんとか過ごしていけそうだな。
私も必要なときはしっかりサポートしていこう」と、未来が明るく開けたような気がした。

入学式が終わって合流したむすめの表情は固く青ざめていた。
「とにかく疲れた」と言ってた。

玄関をくぐるなり、まるで糸が切れたように制服を脱ぎ捨て、そのまま布団に横になってしまった。

そこからずっと寝込んでしまった。

親の目から見て「普通にこなせている」と見えた入学式。
けれど娘にとっては、持っている全エネルギーを使い果たすほどの猛烈なプレッシャーだったらしい。

翌日からは、学校に慣れるための1週間のオリエンテーション期間が用意されていた。
けれど、娘は心も体も全く動かなくなってしまい、結局、1日も行くことができなかった。

今振り返るとよく分かるのだけど、当時の私は、娘がそこまで限界の状態で頑張っていたのだということに、まだ気づくことができなかった。

この後、半年くらい、そうはいっても行けるのではないかと試行錯誤が続くのだけれど、
結局1回もみんながいる教室には入らなかったし、授業も受けていない。

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