育児というものは、多くの場合「標準」の枠内で語られる。母子手帳のチェックリストや、月齢ごとの成長目安といったものだ。
しかし娘は、0歳の時点ですでにその目安の通りには育っていなかった。
就学前までに6、7回ほどある乳幼児健診で引っかかることは一度もなかったのだけれど、親から見て「なんとなく不安になるようなちょっとした違和感」は、折に触れてずっと感じていた。
その都度、小児科の先生や幼稚園の先生、地域のカウンセラーなどに相談はしてみた。
でも、返ってくるのはいつも「大きくなれば落ち着くよ」「この子なりの個性だから」という言葉ばかりだった。
違和感の正体を知りたくて、自分でも本やネットの情報を調べてみたけれど、いわゆる発達障害(最近では神経発達症という呼び方に変わりつつあるようだが)の特徴にぴったり当てはまるものは見つからなかった。
「どこにも当てはまらないのだから、きっと大丈夫だ」とホッとする安堵と、
それでもやはり何かが違うという不安の繰り返し。
わたし自身、初めての子育てで手探りだったこともあり、当時は何が起きているのかよくわからなかった、というのが正直なところだ。
子どもが集団になじめないとき、どうしても「親の育て方」や環境に結びつけられがちだけれど、彼女が学校や集団という枠組みと合わないのは、そうした後天的なものだけではなく、生まれ持った特性もあったように思う。
これは、のちに学校という環境と摩擦を起こしていくことになる娘の、幼少期の記録である。
寝返りをしない赤ちゃん
娘の少し変わった特性は、乳児期からすでに片鱗を見せていた。
育児書に必ず書かれている「寝返り」を、彼女は一切やらなかったのである。
子育て支援センターに相談へ行くほど心配したが、彼女はある日突然、寝返りという手順を飛ばして「ハイハイ」をし始めた。
移動するという目的を達成するために、自分にとって必要のない手順は省く。
思えばこの頃から、一般的なルートを通らない彼女の特性は表れていた。
言葉の早さと、感覚の繊細さ
一方で、極度に警戒心が強く過敏なところも持ち合わせており、母親であるわたしの周りから絶対に離れない子だった。
現在に至るまで、彼女は1人で外に出ることを嫌がり、どこへ行くにもわたしの付き添いが必要で。
必然的に、外との連絡窓口はすべてわたしになり、彼女が外の世界に触れるときの状況をすべて把握することになる。
今もそれは変わらず、行動を常に共にしなければならないこの状況は、
正直なところいまのわたしの大きな負担にもなっている。
当時その反面、言葉を吸収していくペースは、わたしから見て割と早かった。
親が教え込んだわけでもないのに、2歳の頃には自力で文字の規則性を見つけ出して絵本を黙読し始め、3歳になる頃にはもう、すらすらと活字を読みこなしていた。
1歳からの保育園計画。一時保育は完全な「無理ゲー」
わたし自身は在宅で仕事をしており、本来なら保育園に入れたいと考えていた。
そこで、まずは1歳の頃から一時保育に預けてみることにした。
しかし、ここでの攻防が凄まじかった。
初日
ずっと泣き通し。
2回目
入口に立ったまま微動だにせず、わたしのお迎えをひたすら待っていた。
先生がつきっきりで気を紛らわせてくれたそうだ。
3回目
家を出る時から暴れて嫌がり、連れて行くこと自体を断念。
4回目
おやつを握らせて気を逸らしながら、なんとか自転車に乗せた。
5回目
そのおやつ作戦もバレてしまい、泣き叫ばれてまた断念。
その後もなんとか何度かは通ったものの、激しく行くのを嫌がり、給食も一切食べなかった。
ただ、そんな状況のなかでも、保育園の先生から
「ひとりで絵本を読んでいましたよ」
「わたしが言った冗談に、この子だけが意味を理解してケタケタ笑っていて。とても賢いお子さんですね」
と言われたことがあった。
いつも手探りで大変な思いばかりしていたから、その言葉は素直にちょっと嬉しかった。
とはいえ、この状況で毎日通うのは本人もわたしも限界がある。
一時保育での様子を見て、正規で保育園に入れることは断念した。
あの時、わたしがもっと根気よく保育園に入れていれば、こんなに母親に依存する子にはならなかったのだろうか、などと今でも思わなくもない。
けれど、もし無理に通わせていたら、今よりもっと内側に閉じこもり、自分自身を攻撃するような子になっていた可能性だってある。
結局、別の選択をした彼女がどうなっていたかなんて、誰にもわからないのだと思い直す。
そんな正解のない押し問答を、今でもふとした瞬間に繰り返している。
「のびのび園」で全くのびのびしない。馴染むまでにかかった時間は、、、。
保育園を諦め、幼稚園への入園に切り替えることにした。
通わせたのは地元でも「のびのび育てる」と評判の園だった。
適当に選んだわけではなく、わたしなりに吟味して決めた場所だった。
そこは「自主性を重んじる」「自分で考える」という教育方針を掲げていて、わたし自身もその考えに深く共感した。
それに娘の特性を考えれば、時間を細かく区切って一斉に集団行動をとらせるような管理型の園では、早々に行けなくなるだろうと考えたからだ。
しかし実際に通い始めると、彼女が園の環境に慣れるまでには丸2年という長い時間がかかった。
親からすれば娘に合った「自由で良い環境」を選んだつもりだった。
けれど周囲の刺激を敏感に受け取りすぎる娘からすれば、明確なルールがなく、
予測不能な幼児たちが自由に動き回る空間は、
最初はただただ「騒がしくて落ち着かない場所」だったのかもしれない。
なかなか馴染めない姿を見て
「もしかして、やるべきことが明確に決まっている管理型の園のほうが、娘にとっては分かりやすかったのだろうか?」
と悩んだこともあった。
そんな2年間のなかで、園の先生は本当に根気よく娘に向き合ってくれた。
自由を重んじる園とはいえ、時には集団行動を求められる場面もある。
ある日、どうしてもその輪に入ることができず、娘が一人でしくしくと泣いていたことがあった。
その時、先生は無理に参加させることはせず、ただずっと娘のそばに寄り添ってくれたのだ。
集団をまとめる中で一人の子にそこまで時間を割くのは、なかなかできることではない。
娘はきっと、この出来事を通して先生という存在を心から信頼したのだと思う。
実は先に書いた「特性ではなく、この子なりの個性です」と力強く言い切ってくれたのは、
他でもないこの先生だった。
当時のわたしは、違和感の正体を知りたかったがゆえに
「個性という言葉で片付けられてしまう」
と少しもどかしく感じていた。
けれど、あそこまで深く娘を観察し、行動で寄り添ってくれた上での言葉だったのだと、今ならわかる。
そうした時間があって、3年目になってようやく園に慣れると、彼女は自分の好きな折り紙や工作にひたすら没頭し、同じ遊びが好きな子と並んで仲良く過ごすようになった。
その落ち着いた姿を見ていると、
逆にこの園の自由さと、あの先生の寄り添いがなかったら、
最後まで通い続けることはできなかっただろうなと、今になって思う。

