
Xで話題になっていたひとつの記事。
2025年に自ら命を絶った大学生は424人に上り、増加傾向にあるというニュースだった。
記事では、東大で学生支援にあたる精神科医の渡辺教授が、発達障害(特にASD)の特性と自殺関連行動の深い関係について指摘されていた。
- コミュニケーションが苦手で助けを求められない
- 自分のピンチ(限界)を察知しにくい
- 自由度の高い環境でかえって苦戦しやすい
- 周りから見て不調のサインが分かりにくく、限界まで「普通」に適応しようとして突然崩れてしまう
あ、うちの子の特長にすごく似ているな。やっぱりASD傾向がうちの子は強いんだな、と。
人ごとではない不安を感じた。
「助けを求められない」「自由度の高い環境でかえって苦戦しやすい」といった言葉が、
どうしても我が家の娘の姿と重なって見えてしまったからだ。
「現実逃避」は、命を守る防衛本能
けれど、今の娘の状況をあらためて考えてみた時、違いがあることに気づいた。
この記事で悲しい結末を迎えてしまう子たちに共通しているのは、
「限界を超えているのに無理をして、『普通のレール』に適応しようとがんばり続けてしまうこと」
なのだと思う。
そう考えると、いま娘が学校というレールから一時的に降りて、
自分の部屋という安全な空間で好きなことをして過ごしている状態。
これは、心身が完全に崩壊してしまう最悪の事態を未然に防ぐための、
娘自身の強力な防衛本能が働いている証拠なんだと腑に落ちた。
無理に過剰適応しようとせず、ちゃんと一時的に現実逃避をして自分を守れていること。
そして、親である私自身もそれを無理やり引っ張り出そうとせず、
家を「安全な避難所」として保てていること。
それは、娘の心と命を守るための、我が家における最大のセーフティネットになっているのだと思う。
「自由」という環境の難しさと、娘に合った道の模索
また、記事にあった「大学のような自由な環境ではかえって苦戦しやすい」という指摘にも、
すごく納得がいった。
「自由にしていいよ」「自分で管理してね」という環境は、
一見伸びやかに見えて、境界線があいまいな分、
特性を持つ子にとっては「何をどこまでやればいいのか分からない」という
巨大なノイズになりやすいのだと思う。
通信制の学校などでも「自由な環境で自分で計画を立てる」というスタイルが合う子もいれば、
うちの娘のように
「他者の干渉や余計なノイズがない、完全に独立した自分のペースでできる環境(例えば高認のような究極の個人戦)」の方が安心して力を発揮できるタイプもいる。
世間一般で言われる「手厚さ」や「自由さ」が、必ずしも我が子にとっての正解とは限らない。
親としてできるのは、
世間の物差しや「普通はこうあるべき」というプレッシャーを子どもに押し付けないこと。
そして、子どもが「もう無理」と現実逃避を必要としたときは、
それを丸ごと受け止めて、心が回復するまで安全な場所を守り続けることなのだと、
改めて感じる。
もちろん、学校というレールを外れた分、
先行きが見えなくて不安になって心が揺れてしまう日だって、まだまだ普通にある。
でも、だからといって親が先回りをして、
娘の周りからすべてのストレスや負荷を取り除いてあげることが正解とも思っていない。
自分はどれくらいのストレスなら耐えられるのか、
どこを超えると限界なのか、
そうした「自分自身のストレスの許容量」を実体験として知っていくことも、
これから生きていく上で大切な経験なのだと思う。
置いてけぼりにされる「親の心の負担」と、周りの理解
そして何より、子どもを守るためとはいえ、
親である私自身が限界まで抱え込んで疲れ果ててしまっては元も子もない。
親自身の負担をうまく減らし、心に余白を持っておくことも同じくらい大切なことなのだと、
この数年で身にしみて感じている。
けれど現実には、子どもの病院や相談機関に行っても、
語られるのはどこまでも「子ども視点」のことばかりだ。
親側の心の負担だって限界に達しているのに、
以前発達外来でその苦しさを話した時、
「お母さんも大人のカウンセリングを受けられたらどうですか」
という冷ややかな言葉だった。
先生の身になってみればそこまで聞いてられないということなのだろうけれど
なんだか自分ごとバッサリと切り捨てられたような、冷たさと虚しさを感じた。
「子どもの支援」と「親のケア」は事務的に切り分けられ、
当事者である親の切実な SOS や心の叫びは誰にも受け止めてもらえない。
親のサポートは、置き去りにされているのが現状なのだと思う。
一人ひとりを大切な存在として育てるために
日本は少子化が進み、子どもの数自体が減っている。
そんな中で、特性を持つ子の存在がこれだけ浮き彫りになってきている今、
そうした子たちを「枠にはまらないから」と切り捨てるのではなく、
未来を担う若い子たち一人ひとりを貴重な存在として、
伸びやかに健やかに育てていく工夫が必要なのではないかと思う。
私自身、もし娘を育てていなかったら、
こんな視点を持つことも、ここまで真剣に考えることもなかった。
子どもの特性は一人ひとり違うからこそ対応の難しさはあるけれど、
だからこそ親や本人だけに抱え込ませない周りの理解やサポート、
そして偏見をなくしていく枠組みがもっと整っていくといいなと思う。

